「分かり合えたね、さようなら」―CQについて考えたこと

文化的知性(CQ)について考えさせられた、ある寄稿をご紹介します。

忘れられない出来事がある。

相手は現地スタッフのソムチャイさん(仮名)。テーマは、納期をどのくらい守るべきか。私は「お客様との約束だから、なるべく努力して、少し無理をしてでも頑張って間に合わせるべきだ」と考えていた。彼は「それはおかしい、ストレスを抱えてまでやることではない。間に合わないなら、最初の計画に無理があったのでは」と考えていた。

何度か食事をしながら、互いに本音を話した。そして最後に、こんな言葉を交わした。

「あぁ、日本人はこういう考えなんだね」 「そうか、タイ人はこういう考えなんだね」 「お互い、理解しあえたね」 「そうだね。……でも、根本が違うんだね」

 

 
その後、彼は笑顔で会社を去った。けんか別れではない。むしろ、分かり合えたからこその別れだった。
 
 
 

タイ人スタッフとの異文化体験と文化的知性

言葉が通じても、まだ分からない

海外で働き始めた頃、私がまず苦労したのは言葉だった。言葉さえ通じれば、ある程度は何とかなる。そう思っていた。
ところが、ある程度会話ができるようになっても、相手の本心はなかなか見えてこなかった。「マイペンライ(大丈夫)」が本当に大丈夫なのか、やんわりとした拒否なのか分からない。笑顔でうなずいていても、納得しているとは限らない。人前で注意すると、表情を変えないまま心を閉ざしてしまう。

言葉は情報を運ぶ。けれど、その奥にある価値観や感情までは運んでくれない。

理解できても、動いてくれるとは限らない

年月を重ねるうちに、細かなことが分かるようになった。あのとき彼がなぜ黙ったのか。なぜ定時になると迷わず帰るのか。一つひとつの行動に、ちゃんと理由があった。

この段階に来ると、人は少し安心する。「もう大丈夫だ、分かり合えた」と。私もそうだった。

しかし、ソムチャイさんとの一件で思い知らされた。理解しあうことと、一緒に働き続けることは、まったく別の話なのだ。相手を理解したからといって、相手がこちらに合わせてくれるわけではない。相手もまた、こちらを理解したうえで「それでも自分はこうしたい」と考えている。

理解はゴールではなかった。ようやく立てたスタートラインにすぎなかったのである。

言葉が通じても分からない異文化の壁

その先にある力――文化的知性(CQ)

根本の価値観が違う相手と、それでも同じ方向を向いて働く。そこには、「理解する力」 のさらに上にある何かが求められる。タイ語で「オットン」というが、我慢する、忍耐する、辛抱する みたいなことは、基本的に生活の中では考えられないことなのだ。

近年、この力は「CQ(Cultural Intelligence Quotient:文化的知性)」と呼ばれ、研究が進んでいる。CQは、異なる文化の中で効果的に関わり、成果を出す力のことだ。相手の文化を知る「知識」だけでなく、自分の思い込みに気づく力、相手に合わせて振る舞いを変える力、そして違う相手と関わり続けようとする意欲。それらが組み合わさって、はじめて人と人は一緒に動けるのだという。

振り返ってみると、あのときの私には「知識」はあった。タイの人が個人のサバーイ(ストレスフリーの状態)をどれほど大切にするか、頭では分かっていた。足りなかったのは、その先だった。「間に合わせるために頑張るのは当然」という自分の前提を、一度も疑わなかった。残業以外のやり方、たとえば計画そのものを見直すことや、役割の分け方を変えることを、彼と一緒に考えようとしなかった。そして何より、「分かり合えた」ところで満足して、関係をつくり続ける努力をやめてしまった。

違いを抱えたまま、一緒にいる

異文化の中で人を動かすとは、相手を説得して変えることではないのだと思う。かといって、自分の考えを捨てて相手に合わせることでもない。

「どちらが正しいか」ではなく、「お客様にも家族にも誠実でいるには、どうすればいいか」と、問いそのものを立て直すこと。相手の大切にしているものを、我慢ではなく仕組みの側で受け止めること。決めたことを伝えるのではなく、決める場に相手を招き入れること。そして、価値観の衝突は一度きりではなく何度でも起きると覚悟して、そのたびに対話をやり直すこと。

どれも地味で、時間のかかることばかりだ。けれど、違いを抱えたまま同じゴールに向かうには、おそらくそれ以外の道はない。

「さようなら」の前に

「分かり合えたね」と言えた瞬間は、たしかに嬉しかった。けれど本当の問いは、その後にあった。

「根本が違うね、さようなら」と終わるのか。「根本が違うね。じゃあ、どうやって一緒にやろうか」と続けるのか。

CQという言葉に出会ったとき、私はあの日の会話を思い出した。もしもう一度あの場面に戻れるなら、今度は後者の言葉を、自分から口にしたいと思う。

文化的知性(CQ)の4つの要素については、CQとはで詳しく解説しています。言葉が通じても仕事が進まない理由は、異文化コミュニケーションはなぜうまくいかない?もあわせてお読みください。あなたの文化的知性は、無料のCQ診断で確認できます。

(匿名寄稿)

コメントする